1995年1月は阪神淡路大震災の年。
90年代始め頃、東京ローラーコースターの演奏会にたびたび誘っていただきました。私はうれしくてギターをかかえて出向き、アルバートキングのトレードマークを一緒に演奏させてもらいました。うれしかった!いつも誘ってくれたのは妹尾隆一郎さんでした。
当時、妹尾さんは震災チャリティーに自身の全霊をこめておりました。ご自身の知人に声をかけ、(皆様超一流の方々です。例えば桑名正博さんや上田正樹さんなど。神戸で聴いた桑名さんのジョージアオンマイマインドが私の頭に焼き付いてます。デカいカラダから出るその声!素晴らしい歌だった!)大阪や神戸をまわっておりました。私はその、はじっこに参加させていただきました。
スニッカーズを少し幅広くしたくらいの大きさの携帯電話が普及していた頃です(折りたたみのガラケー型ではありません)私はカタギの仕事の都合上(長距離運転手を長く務めました。大型トラックで全国をウロウロしてた💦)かなり早い段階から携帯電話を持っておりました。仕事の電話と自分の電話とを2台持ち、当時だいたいどこにいても電話が通じました。
妹尾さんから電話
「ヨリキ〜おまどこや?」
「はい、今大阪で帰り荷を積んでおります」
「おお!ちょうどええわ〜!今京都におるんや、難波までいこや〜!」
「 はい……」
仕事そっちのけで妹尾さんを拾いに京都へ。妹尾さんは喫茶店でPCを操作してました。
今では当たり前の景色ですが……ですが当時、喫茶店でPCを扱う人なぞ見たこともありませんでした。
どこでもPCの操作ができるための労をいとわず、当時珍しいコロコロキャリーをいち早く使い、PC用のデッカくて重たいバッテリーやハモニカアンプを常に持ち歩いておりました。20年くらい未来を先取りしていた?と今は感じます。
新御堂筋を3列駐車しているタクシーのさらに内側4列目にデカいトラックを無理やり止めて…妹尾さんの帰りを待った思い出があります。
私のものすごく楽しかった思い出のひとつです。
( ³෴³)
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